テーマ:こんぴら街道

弥次さん喜多さん12(郡家の茶屋)

こんぴらさんが見えてきた。 郡家の茶屋 神野神社のまえにあった茶屋。 丸亀の殿様よりも、神野神社の神主のほうが位が高かったので茶屋を与北に写したとか。
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弥次さん喜多さん8(柞原の常夜灯)

柞原の常夜灯 中府三軒家の三ツ角で金毘羅街道をとって進むと、常夜灯があったようです。 金毘羅参詣に限らず、神仏への参拝者の便宜を図るものとして常夜灯があります。 弥次さん喜多さんは丸亀の旅籠で一泊してこんぴらさんに向かったわけですが、旅人の中には様々な理由で野宿を余儀なくされながら、旅をしていた人も少な…
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弥次さん喜多さん7(中府三軒家の三つ角)

中府三軒家の三つ角 中府の番所、大鳥居を過ぎて城下を離れると、金毘羅街道と伊予道(遍路道)との分かれ目にでます。 この角には「男松」という茶店があったといいます。続膝栗毛には書いてありませんでしたが、きっと、弥次さん喜多さんんも立ち寄ったことでしょう。 ここには駕篭かきや馬方が待っていて、旅人を乗せていった…
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弥次さん喜多さん6(中府の大鳥居)

金毘羅丸亀街道の一の鳥居 中府の番所をなんとか過ぎた弥次さん喜多さんはこの大鳥居を見たはず・・ と、思いきや、 この花崗岩製の大鳥居は明治4年に堺、山口、青森、丸亀の人たちの寄進によって建立されたとか。上部中央に、「金毘羅宮」と書かれた額があがっています。 江戸時代にブームになったこんぴら参りは、明治…
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弥次さん喜多さん5(中府口:なかぶくち)

中府門近くの百四十丁石 さて、歌舞伎の演目にもなっていた田宮坊太郎の碑を見つけた弥次さん喜多さんは、きっと金毘羅大芝居の演目を気にしていたことでしょう。 ここを過ぎてさらに下ると、中府門に着きます。もちろん今は、そんな門はありませんが、近くに百四十丁石(こんぴらさんまでの距離)があります。 中府門は城下の出…
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弥次さん喜多さん4(金毘羅街道:田宮坊太郎)

田宮坊太郎の碑 弥次さん喜多さんは丸亀の旅館で一晩過ごし、夜が開けると金毘羅丸亀街道をこんぴらさんに向かって出かけます。丸亀の町の出入りをチェックする関所があったようですが、そこに着く前に田宮坊太郎の碑があります。丸亀の玄要寺にはその墓があるそうです。弥次さん喜多さんが立ち寄ったとはありませんが、田宮坊太郎は当時歌舞伎…
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弥次さん喜多さん3(丸亀)

三吉(さんきち)旅館(大物屋ではありません) 丸亀で上陸した弥次さん喜多さんは、船頭の案内で丸亀の旅館に泊まることになります。そこで二人は、旅館の女をめぐって騒ぎになるものの、そのやりとり交わされる「方言」に旅の風情を感じます。 多くの旅人が宿泊した丸亀の旅館も、今では数軒残るのみです。湊ではなく、その奥にある丸…
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弥次さん喜多さん2(丸亀の湊)

弥次さん喜多さんを乗せた船は丸亀まで来たものの、引き潮のため丸亀港に入ることができません。「潮待ち」で時間を費やした後、湊に入ったのは日が暮れてからでした。 金毘羅船で賑わった丸亀港も船の大型化によって様変わりしています。瀬戸内の島々をつなぐフェリーは、昔の丸亀港の外側に設けられ、従来の湊は小型船の停泊港になっています…
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弥次さん喜多さん1

東海道中膝栗毛で知られた弥次さん喜多さんは、実はこんぴらさんにも来ています。といっても、架空のお話なので、実際には作者の十返舎一九が来て、その旅を金毘羅参詣続膝栗毛として出版しています。今回からシリーズで、弥次さん喜多さんが通った金毘羅丸亀道を紹介します。 大坂を金比羅船で船出した弥次さん喜多さんは、瀬戸内の港を経て丸亀港…
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